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この方はどなたでしょうか。
サムエル師ですね。
イエス・キリストと誤解されたりするのですが、お間違えのないように。
今回はこのサムエル師にまつわるお話をしてみようと思います。
その前に、旧約聖書について、おさらいをしておきましょう。
これまで見てきた旧約聖書の書物は「モーセ5書」と「歴史書」に当たります。
「旧約」とは神とイスラエルの民との間に結ばれた「旧い」契約のことで、モーセが神と交わした契約、即ち「律法」を基本とするものです。
「モーセ5書」とは「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」のことです。
「創世記」には天地創造やノアの方舟、バベルの塔などエピソードがあります。まだ人類のあけぼのの時代とされ、登場人物の寿命が非常に長く、人と神や天使がかなり自由に交流していた様子が書かれています(BC3761年~1300年頃)。
「出エジプト記」は、エジプトで奴隷として扱われていたイスラエルの民が、モーセに率いられて故郷の「約束の地」、カナンへと帰る様子が書かれています(BC1300年から1200年前頃)。
「レビ記」にはイスラエル人の生活規範が、「民数記」には出エジプトの記録が、「申命記」には出エジプトの記録とともに法律的な規範などが記されています。
その後イスラエルの民はカナンを侵略、やがてイスラエル王国を建設します。ダビデ王、知恵のソロモン王の物語をここでも少しだけ紹介させていただきました。
「歴史書」中の「列王記」ではダビデ王の晩年からソロモンの死後、王国の分裂、滅亡までの歴史が書かれています(BC1000年頃)。
「サムエル記」ではサムエルの誕生からダビデの死までが書かれています。
今回は、この「歴史書」中の「サムエル記」のお話ということになります。
サウル王はダビデ王の前の王様ということになります。
モーセ5書 | 歴史書 | 知恵文学 | 預言書 |
---|---|---|---|
創世記 | ヨシュア記 | ヨブ記 | イザヤ書 |
出エジプト | 士師記 | 詩篇 | エレミヤ書 |
レビ記 | サムエル記上下 | 箴言 | 哀歌 |
民数記 | 列王記上下 | コヘレトの言葉 | エゼキエル書 |
申命記 | 歴代誌上下 | 雅歌 | ダニエル書 |
エズラ記 | ルツ記 | 12小預言書 | |
ネヘミヤ記 | |||
エステル記 |
当時、ペリシテ人はイスラエルにとって脅威でした。その圧迫に対抗するため、士師サムエルはヤハウェのもとでイスラエルの民が一致団結する必要性を説きました。一方、民はほかの民族のように自分たちも王を持つことを望みました。選ばれた王は、ベニヤミン族のサウルという美しい若者でした。
さて、サムエルがまだ子供だった頃、眠っていると
「サムエル、サムエル」
と呼ぶ声がしました。
寝ぼけ顔で祭司エリのところに行って、
「何かご用ですか」
と問うと、
「わたしは呼んでいない。戻ってお休み」
おかしいなあと思いつつ、ふとんにもぐってうとうとしていると、またもや
「サムエル、サムエル」と呼ぶ声。
さらにもう一度、同じことがその夜起こりました。
一晩に3回も起こされた祭司エリは、3度目にアドバイスをしてくれました。
「また呼ぶ声がしたら、『ヤハウェよ、語りたまえ、あなたのしもべは聞いております』と答えなさい」と。
サムエルが4度目に言われたように返事をすると、ヤハウェの声で、祭司エリとその息子たちの末路について警告されました。
実は、2人の息子たちは神様への捧げ者を横領するとんでもない人たちだったのです。
祭司エリ自身は敬虔な人でしたが、息子たちの悪事を止められなかったので、神様は3人を罰するとおっしゃったのです(サムエル記上3章1節ー14節)。
サムエル師は士師となり、イスラエルの人々をミツパに集めて、異教の信仰を棄てるように警告しました。この「ミツパ大集会」がペリシテ人には戦争準備をしていると見えたようで、彼らはいきなり攻撃を仕掛けてきました。
サムエルは、捧げものをし、ペリシテ人を追っ払ってください、と神様にお願いをしました。
すると、ペリシテ軍にものすごい雷が落ちました。
ペリシテ軍は大混乱に陥り、その隙に乗じてペリシテ人を撃退することができました(7章3節ー11節)。
ペリシテ人をやっつけるのに一番てっとりばやく確実なのは、武器などではなく、ヤハウェに真摯な信仰を捧げ、お願いすることだったんですね。
ヤハウェ信仰こそイスラエルを救うと熱弁するサムエル師でしたが、異教に傾きがちなイスラエル人をどう引っ張っていくのでしょうか。
このところ、イスラエル国民の間では、「国王待望論」が飛び出していました。
イスラエルを治める「王」は神ご自身であって、地上の王ではない、というのがイスラエルの常識でした。だからこそ、近隣諸国が王国であるのに、これまでずっとイスラエルは士師たちに指導をゆだねてきたのでした。
王を求めることは神様に対する反抗のように感じられますね。
神様はサムエルにおっしゃいました。
「彼らは、わたし自身が王として君臨することを退けているのだ。
しかし、しょうがないかもしれない。イスラエルの人々がわたしを裏切るのは今に始まったことではない。そもそもエジプトから出てくるときから今に至るまで、イスラエル人がしてきたことといえば、わたしを棄てて異教の神を信仰することの連続だった。今は彼らの好きにさせておきなさい。ただ、王がどんなやっかいな存在であるか、警告だけはしておくように」
神様もあきれていらっしゃいますね。
この言葉は決して、王制施行に賛同するものではないことを肝に銘じていただきたいものです。
サムエルは、イスラエル12部族の長老たちに言います。
「あなたたちは、王を選ぶことで犠牲をはらうことになりますが、それでもいいのですね?」
一同
「・・・・・。」
「王は、あなたたちの息子を兵士に仕立て戦争へかりだすでしょう。あなたたちの娘もさまざまな武器もうばいとってしまうでしょう。またあなたたちの最上の畑をたがやさせ、収奪させもするでしょう。
こうしてあなたたちは王の奴隷となる。その日あなたたちは、自分が選んだ王のために泣き叫ぶ。
しかし主はその日あなたたちに答えてはくださらない。」
しかし、情勢は王と必要としていました。昔のしきたりを守るだけでは発展はない。他の国民と同じように、王が司法権・行政権・軍事的統制権を握るべきだ。神も、民の言葉に従えと言っているのだから、ためらうことはないだろう、ということでした。
サムエル
「わかりました。主の御名においてひとりの男を聖別しましょう。」
(8章5節ー22節)
王の選出はくじ引きで行われました。
最初のくじは、全イスラエル12部族から一つの部族を選ぶものでした。
「ベニヤミン族です」
との発表に会場はどよめきました。
そしてついに王の選出です。
「統一イスラエル初代国王は・・・キシュの息子サウルです!
さあ、国王に選ばれたサウル、どうぞ舞台へ!」
ところが彼は出てきません。
人々は荷物の間に隠れていた彼を引っ張り出し、「王様万歳」といって喜びの声を挙げました。
サムエルは
「彼が神に選ばれた人だ。彼に及ぶ人はいない」
と宣言します。
サムエルは王としての権能を説き、それを文書にしたものを神様に捧げました。
(10章20節ー25節)